いつ体育の日からスポーツの日になったのか覚えてない。
なんかもう産まれた瞬間から絶望的にどんくさくて、幼小中高と体動かす機会はほとんど全部めんどくてしんどくて嫌だった。その気持ちを供養するためだけにこの記事を書く。
これは全て自分の身体に対する恨み節だ。
幼稚園のときは縄跳びができなくて駆け足飛び(って名前だったっけ。なんか縄跳びしながら走るやつ)競走のときほとんど縄を踏みながらちんたら歩いていたらズルしてる!と周り中から叫び声が上がった。こっちとしてはもがいてるうちに次の縄を何とか飛ぼうとして偶然ちょっと進んでいる、という認識なわけだが、他人の目からはズルしてるように映るのだと思ったら全部放りだして泣きたくなってしまった。
人間がよく習得につまずくと言われるスキップはなぜかできた。
小学生のときはもう体育の授業全てが恐怖だった。休み時間の遊びですら恐怖だった。あまりにも足が遅く、鬼ごっこでへろへろになりながら誰も捕まえられずにいる自分に友達が「タッチしていいよ。鬼代わってあげる」と差し出した手のありがたさと悲しみ。
ドッジボールでは外野の子が復帰するために使う回復アイテムの役割(自分は1回外野に行ったが最後、絶対に戻れないので使い切りタイプのアイテムだが)。
かけっこも持久走も全部ビリ。高学年の駅伝大会では待機中にどんどん天気が崩れて寒くなり、「神様、一生のお願いです。晴れにしてください」と祈ったら本当にみるみる空が晴れてあったかくなり……と、ここで一生のお願いを使い果たしたわけだ。今の自分ならお願いを温存して何もせず天気が崩れて行事が中止になるのを待っただろう。この話自体は運動音痴とはさして関係ないかもな。低中学年がやる持久走のときは前の人から大幅に遅れてビリでゴール。観覧していたよその親御さんがたから「ビリだけどニコニコしてて偉いね。見てあの顔」と言われてひそかに、でも深く傷ついていたこと。
うちの小学校には海を2キロも泳がされる行事があって、各生徒に1人から2人のヘルパーがつくところ自分だけ明らかにヘルパーの人数が多く、まあそれは実際危なかっただろうからいいんだけど、泳ぎに自信がなくてビート板を使っていたのに途中で「そろそろ自分の力で挑戦してみよう!」とビート板を取り上げられて突然始まったスパルタ教育を受けながらちゃんと泳げたら絶対こんな風にならないのに、と悲しくなったこと。ただ、おかげさまで平泳ぎだけは大得意です。
運動会のダンスなんかは絶対本番までに仕上がらなかった。ツーステップが踏めなくて何度も何度も練習を止めてしまったのを、申し訳ない気持ちとともに今も思い出す。
中学校ではまあとにかくどんくさいので体育の授業なんかで人よりもたくさん失敗する。失敗すると、自分の失敗を誰かが真似て笑いを取っている。水泳以外に何の取り柄もない。その水泳も陸上よりはマシな動きができる程度でしかない。
文化祭のときクラスの演しもので踊ることになったのはつらかった。振り付けを一生懸命説明されても理解できない。教えてくれた子たちは本当に困ったことと思う。どう控えめに見ても、クラスで一番踊れていなかった。教えてもらっているのにわからないとはどういうことか、というと、自分の体がどうなっているのか状況を把握できないのだ。自分の手は今どこにある?次の動きはなんだっけ?と、ずっと混乱し続けている。
でもしょっちゅう笑われてた以外ほとんど何も覚えていないってことは、この時期が実は一番よかったのかもな。
高校では、まあ中学校でもそうだったけど、あいつが同じクラスにいなくてよかったと体育が絡む行事のたびに言われていた。それは本当にその通りなので気分は沈むがどうしようもなかった。練習しても頑張っても一番運動ができないことに変わりはないので、かといって斜に構えることもできず、ただただ足手まといとして存在していた。
体育では、毎回名簿順に生徒がみんなの前に立って準備運動のお手本役をすることになっていた。競技ではなく準備運動でも、人前に立って体を動かすだけですごく嫌な気持ちになった。少しでも動きがおかしければあとで笑いを取るやつが出た。ひどいとやってる最中に誰かの笑いが洩れることもあった。さすがにそこまで来ると怒りを感じたが、原因は自分にあるので嫌なやつだな、とか、やりたくてやってるわけじゃねえよ、とか思いはするものの結局悲しくなるだけだった。
体育でバドミントンの授業中、ダブルスをやることになった。友達がいるので、今までも二人組を作ることはできた。しかし、そのときだけは事情が違った。各ペアの実力を同等にしたいという理由から、教師が前もって決めたペアで試合をすることになった。しかし、基準が「体力テストや実技で成績がいい生徒をその反対に成績の悪いやつと組ませる」という「+1と-1を足したら0じゃん」的発想であり、じゃあまずは1位の〇〇と……最下位のお前な!と名前を呼ばれたときにはやっぱりな、どうしよう、と恐ろしくなりまた悲しくもなった。1位の生徒は+1かもしれないが、自分は-1ではなく-100くらいある。圧倒的デバフ。バドミントンをやってる間中肩身が狭くて仕方がなかった。組まされた人は産まれたとき既にふくらはぎが子持ちししゃものようになっていたというエピソードを持つゴリゴリに運動できる人だったのだが、まあいいよ一緒にがんばろ!と特に嫌な顔せず(少なくとも自分の前では一度も見せなかった)ダブルスの試合をほとんどシングルスでやっていた。相手が慈悲に満ちているぶん役立たずの身に堪えた。すげーいい人なのに力になれないのだ。とりあえず教師の理論は全力で間違っていたと思う。
創作ダンスの授業は悲惨だった。元々踊れないところ、同じグループにいるほとんどのメンバーがあるアイドルのファンだったのでそのアイドルの曲を使ってほとんど同じ振り付けで踊ろう!という話になったのだが、その振り付けが自分には複雑すぎた。ファンであるところの生徒たちはファンなのでしょっぱなから動きが頭に入っている。ただでさえ大きく遅れてのスタートだったうえ、難易度も自分には高い。練習しても練習しても体をうまく動かせず、本番でもろくに動けず揃わずで恥ずかしくて仕方がなかった。
うちの高校では体育祭の休憩時間を使い、3年生がクラスごとにパフォーマンスをするというこれまた自分にはきついイベントがあった。このときはEXILEの曲と振り付けでやろう!という話になり、前述のアイドルのダンスより更に難易度が高かった。高校3年生なのに夏休みのほとんどを練習に費やし、それでも踊れるようにならなくて、絶望的に踊れないのでそれっぽい動きをして何となくごまかすことすらできず、当然のように本番でも失敗した。ここまで来るともう無力感しかない。
大学でやっと体育とさよならできる!と思ったらまだ必修体育があったときには月並みな表現だが絶望した。大学の体育は本当に何の肥やしにもなっていない。あまりにも運動に適性のない自分に何を足しても意味ないかもしれないが。
ある番組に、運動音痴の芸人を集めて色々な運動をやらせてみる企画がある。まあ見てると動けない気持ちも仕組みもわかるし多少笑いもするのだが、はたから見てると自分ってこんな風だったのかな……という考えがしょっちゅう頭をよぎる。見ててつらい、見たくもない、とはならないが、うっすらとした悲しみがある。企画の中でダンスをしている人が上手く踊りきっても自分の中では悲しみが漂う。
笑われたら傷ついてしまうけど、じゃあお前はうまく動けることに感謝しろよな畜生、みたいなことは一切思わない。というか、大人になったので運動音痴がどうとか言及されたり能力を比べられたりすることがほとんどなくなったぶん今は穏やかである。それどころか、かつて運動ができていた人が生活習慣などから昔のようには運動できなくなることも増えた。
祖母によれば、うちの親父は子供の頃ものすごく足が遅かったという。実際、自分の運動会で親子競技に参加したときも遅かった。しかし年を重ねてから草野球を始めたところ、痩せ型の親父は打率こそそんなでもないが出塁率は高い選手として活躍しているらしい。なるほど、周りの同年代の選手が自前の錘をぶら下げてる中では親父でも相対的に速いという状況が発生するのか!とハッとした。自分にもいつかどこかでそんな状況が成立するかもしれない。
でも、やっぱり最初から動けるやつが最強だよな〜。
この間生まれて初めてまともに世界陸上を見た。絵画とか文学とかだと仮に1位獲っても人によってはそれが1位じゃないってことがあるけど、世界で一番足が速い人は人それぞれの見方とか全然なくて絶対世界で一番足が速い人だよな、と思った。もちろん大会に出てないだけでもっともっと足が速い人が存在してる可能性はあるけどここではあえて無視する。
友達に「世界陸上テレビで観てたけど面白かった。もうね、すっごく足が速いんだよ」と言ったら感想があまりにも素朴だと笑っていたが、やはりフィジカルの強い人には並々ならぬ憧れがある。とにかく惹かれてしまう。ついでにミーハーなんで世界最速ママとおしゃれ番長のインスタをフォローした。本当に、足が速いってすごい。運動できるってすごいよ。
フィジカル面で全く恵まれなかった自分、ままならない身体への恨み、どうにもならないことの息苦しさを思い起こす。所詮脳筋でしょ?なんて運動できる他人を笑うこともできず(そもそも絶対にそんなことはしたくないので)、ただもう運動が話題に上がることのほとんどない世界でうっすらとした悲しみを感じながらこれからも暮らしていく。
来世はもうちょっとだけマシな運動神経をください。