東日本大震災から13年。
あのときは何もかもめちゃくちゃに思えたし、あの時期たまたま自分の人生も地震と関係なくめちゃくちゃというか何なら詰みの気配まであって、なんか、よく生きてるな今、というのは別に今日でなくてもよく思う。
東日本大震災、のあと、もう二度と会えなくなってしまった人たちのことをよく考える。それも別に今日この日に限ったことではない。いなくなってしまった人たちをふと思い出すとき、日付や時間は関係ない。
それでもかつてこの日はこんなことがあったね、と多くの人がまとめて考えたり思い出したりすることには多分意味がある。自分みたいにちょいちょい思い出す人もいれば、普段は感情や思い出に蓋をしているという人もいるだろうし、まだどんな風に考えればいいのかわからないという人もいるだろう。どんな人にも「この日だけは考えていい」って思わせてくれる日があると、結構な救いになるんじゃないか。
そんなことを言うのは、あるとき泣いてたら「日曜の朝から気分悪いんだよお前」ってキレられたことがあるからかもしれない。大手を振って悲しかったとかしんどかったとか言ったり思い出したりしてもいい日があるととても嬉しい。心の中でならいつでも思い出すし懐かしくなることもただ胸を痛めることもできるけれど、毎回外に向けて出すかっていったら多分そうじゃないでしょ。でも今日だけは、って日。
今年は元旦から能登半島地震があって神も仏もねえなぁなどと思った。多分色んな人が今日にかこつけて同じことを言っていると思う。
計画停電とか、避難生活とか、不自由はなければないほうがいい。ずーっと風呂に入れてない人、プライバシーを保たれていない人、具体的には表現できないけどモヤモヤした何かに苦しめられている人、本当にしんどいと思う。あとは見てほしいのに見てもらえない人。被災地は広範囲に渡っているのに、よく取り上げられるところや問題に対して自分のいるところや抱えてる問題がなかなかピックアップされない歯痒さね。
Google Analyticsではリアルタイムレポートというのがあって、過去30分間にこのくらい人来てたよ!って教えてくれるんだけど、自分のとこみたいなマジの趣味ブログだと基本いつ見ても過去30分間のユーザーとか全然いないわけ。大体毎日数十アクセスだから、24時間で割ると1時間あたり……。
なんだけど、本当に稀に過去30分間のユーザーが確認できるときがあって、さらにさらに稀なんだけど日本海側からのアクセスだってわかったときがほんの数回だけあって、それ見たときは本当に大丈夫ですか、無事なんですか、ってすごく心配になった。そわそわした。震災とか何も関係なくてふつーに検索してマジでたまたま流れ着きました!って人だったら安心できるけど。
自分は東日本大震災の余震を機に地震に対する感覚が完全に麻痺してしまったと感じる。昔って震度4くらいでも「大丈夫?」って連絡し合ったりしてた気がするもん。今はさっきの地震震度4だってさ、そのくらいだと思った、とか、めちゃくちゃフラットに捉えるようになってるんじゃないかって。
一方で、地震が日常に侵食してきてるって感覚も確かにあって、それが何でもとりあえず備蓄しとかなきゃ、逃げる用意しておかなきゃ、っていう一種の強迫観念みたいになってた時期もある。最近は結構落ち着いたけど、あれがないとダメ、これがないとダメ、って何でも無駄に買ってた。置き場所に悩んで買うとこまで行ってないけど、正直言うとテントとかはまだほしい。あとキャンプの趣味は全然ないけどサバイバル術にはめっちゃ興味ある。今は小鳥もいるし。
ここはお役立ちブログでもないし、何かいいこと言えるタイプでもないからまとめもクソもないけど、マジで何もないならないのが一番だし、何もないのが一番だと思わせられるような災害や惨事には一生遭わずに済む人がいっぱいいますように。誰もが会いたい人に会えて、行きたいとこへ行けますように。