四の五の帳

あったこととかやったこととか

20240117

能登半島地震の被災地は変わらず苦しい状況が続いているのを連日のニュースで見る。ド素人が現地に行ったって何もできるわけじゃなし、かといって気持ちは落ち着かないが、募金したり祈ったりするくらいしかやることがない。

 

今日で阪神淡路大震災からもう29年になる。全然そんな気がしない。ほんの最近あったことのように思える。

自分が直接被災したわけではないけれど、当時身内が神戸にいたから印象が強いんだと思う。あの高速道路の映像を見たとき、他の親類はもう身内の命がないものだと思い泣いていた。幸い身内の命は助かったけれど、震災のあった日が近づくと毎年その話になる。家庭内だけでなく、あの震災の話は家庭外でも繰り返し繰り返し聞かされた。

阪神淡路大震災から何年か後、大阪から転校してきた子がいて、その子が地震のことを覚えてるよと言ってたことを思い出す。その子は地震のことを「覚えてる」と言ったけれど、地震の「何を」覚えてるかを話したことは多分一度もなかったと思う。何があったの?って聞く発想が当時は逆になかったな。

 

昔は、少なくとも25年くらい昔までは、震災は阪神淡路大震災のことだったように思う。阪神淡路大震災の教訓や出来事や思い出やをずっと聞き続けていなければ、忘れないようにしていなければと思っていた。今思うと、大地震なんてものはあそこで打ち止めだと、自分が生きるタイムラインで出会うのは最後だと、無意識に思っていたような気がする。数十年~数百年に一度のもののように錯覚していた。

でも実際にはそれからたくさんの大きい地震があった。というか、ウィキペディアとか気象庁のHP見てるともう毎年のように起きている。淡路大震災が初めて大震災なるものを意識した震災だとすれば、東日本大震災はそれまでニュースなどで見聞きするだけのものだった震災が初めてわが身に降りかかってきた震災だった。あれからとっくに10年以上経つなんて信じられない。能登半島地震でニュースに映る景色は、どうしても東日本大震災の景色を思い出させる。だから、勝手ながら我がことのように感じてしまう。そんな人も結構いるんじゃないだろうか。

 

能登半島地震で亡くなった方の名前が新たに公表された。当たり前かもだけど、みんなひとりひとり名前があるんだよなと思うと悲しい。大きい余震もあるし、インフラの整備もまだ困難だし、もう何でもいいから事態よ好転してくれと祈ってばかりいる。砕石が不足していてどこも大変らしい。突然ちょうどいい大きさの石がいっぱい地下から湧き出したりすればいいのに。

 

あと、海岸が隆起してる写真見た。血の気引いた。

nlab.itmedia.co.jp

自然怖すぎ。無理って思った。こんなもんを相手にどうしろって言うんだろう。これがごく短時間で起きたっていうんだからもう……。

こんな長々と書いといてアレだけど、とにかく一日でも早く事態が好転しますように。本当それだけ。そして、今までにあったあらゆる災害の犠牲者の方が少しでも安らかに眠っていますように。また、被災した全ての方のその後の暮らしが少しでもいいものになっていますように。