四の五の帳

あったこととかやったこととか

20240107

地震が続いてますね。テレビでテロップが流れる度にかわいそうに、またか……と暗い気持ちになります。

 

最近の色々で、東日本大震災のときは本当に毎日しょっちゅう揺れてたなあ、というのを思い出しています。あのときはずっとパソコンでUstreamつけっぱなしにして、寝ずに画面に張り付いていました(今思えば電気が通っていただけものすごく幸運でしたね)。

今もやっていることは近いです。あんまり見てると本当にどんどんしんどくなってくるので意識的にテレビ観ない時間作ったり工夫はしてますが。全然新しい情報がなくても何となく流しっぱなしにしてしまうんですけど、こういう心の働きにも名前とか付いてるんでしょうか。

 

被災地の情報は知りたいけど、誤報があったりもするんで一体何から情報を得たらいいんじゃ、と戸惑っております。安全なところにいる自分ですらそんな感じなので、情報の入手手段が限られているような人たちはもっと大変なのではないかと思います。仮にその情報が誰かの生死を分けてしまうようなものだったら、やばいどころじゃ済まないですよね、きっと。

 

今は色んな人がそれぞれのやりかたでインフラを整えようとしたり、当座の生活を切り盛りしたり、とにもかくにも大変な局面だと思います。どの人もなるべく健康でいられますように。

そして自分にも何かできることがありますように。石川県、というか金沢には2回行ったことがあり、とてもいい思い出があるのです。元旦に地震があって以来、前行ったあのお店どうなったのかな、あの場所はどうなったのかな、と毎日考えています。とりあえず、今は自治体などのお知らせをこまめにチェックし続けるしかないですね。

 

最近は地震のことばかり何度も書いてますけど、やっぱり毎日ニュースや何かで見てたらどうしても頭に残ってしまうし、東日本大震災の経験もあるので思い出したり考えたりすることが多くなってしまいますね。

全然悪いことではないですが、日記の内容に反映されすぎなくらい反映されてるなあ、と今年に入ってからの自分の日記読み返してて思いました。まあショックでしたもん。

一応、ゲーム日記も書くには書いてます。とはいえ、年末年始体調悪すぎてゲームできるテンションじゃなかったので過去記事の加筆修正ばかりやってます。調子悪いと画面見てられないしテキスト読もうにも目が滑るし話が頭に入らないしでメモが取れないんですよね。

 

今までの人生、自然は人間の都合とか知らん、と頭の中ではわかった気でいたんですけど、元旦に地震があったことで自分の中に「こういう日には災害とか起こらないはず」という思い込みというか、偏見というかが何となく存在することに初めて気がつきました。マジのマジで自然って人間の都合なんか知らないんだね……。

正月に地震が起きて津波が来るならどこにも逃げ場ないじゃん、と思うと精神的にきついもんがあります。今までは漠然と大丈夫(何らかの力で守られているように思えた)だと思っていたハレの日にだって自然は容赦なく襲いかかってくるのがわかってしまったので、 自分の中の「安心」や「安全」の概念が変わったのを感じます。

 

元旦は一年の計なんて言いますが、こんな一年の計があってたまるかよ、と強く思っています。繰り返しになりますが、早く状況がよくなりますように。